2型糖尿病が始まってしまいました

2型糖尿病が始まってしまいました。自分の記録として40代後半にして初のブログに挑戦です。

会社へもう行かない(糖尿病関係ない話)

 お散歩中に撮った、築地市場(跡地)の写真です。
役目を終え、もう、空っぽになっています。
とりあえずオリンピック時は駐車場になる予定だったんでしたっけ。
オリンピックも延期になったせいか、空っぽのまま。





さて、そして私も一つの役割を終えました。
子どもの休校も続く中、退職を決め、3月末で退職しました。
いずれ、休業には補償されるというけれど。。。


子どもが学校休みなんで、私も休みまーす、長期デス!


・・・と言って、快くOK出す会社なんてあるんですかね?


辞めてくれたら、代替えを採用できるけど、「お休み」されちゃったら、雇用できる頭数なんて上限決まってるし。
数日ならともかく5月までって。
冗談でしょ、そんな雇用枠取っておけない、稼働できないなら辞めて欲しいってなりますよね。
殆どの場合、休業なんて出来なくて、辞めてくれって、ならないかな。


私は非正規雇用のパートなのでテレワークは対象外でしたし、主人も自宅ではできない業務内容で普通に出勤していました。


休校になってから、子どもは家で一人待っていました。
私が朝に作ったご飯をお昼にひとり温めて食べ、私の帰りを待つ日々。
パートとは言え、8時に家を出て帰りは18時過ぎるので、丸一日ひとりぼっち。


たまに、近所に住む私の両親の手を借りながら。


しかし、私の両親も高齢で、比較的元気とはいえ年齢なりの持病も幾つもあります。
何がどうなってもおかしくない年齢。
高齢、高血圧、(境界型)糖尿病などなど。


通勤リスクを背負う私が親に会うのも、危ない。
うちの両親は、もともと用もなくデパートや巣鴨とかに行くタイプではないので(笑)、地元のスーパーやドラッグストアにたまに行く以外はおとなしくしています。
でも、通勤ラッシュに揉まれ、密閉されたオフィス(しかも過密気味)で勤務する私がひょこひょこ登場したら、自粛の意味ない。


生きていくためにお金が必要。
稼がないと。


でも、今は少しお休みすることにしました。
幸いにも(?)さほど執着したいと思えるような待遇では無かったですし(笑)
今までずっと働いてきたおかげで、経済的にも少し計画が立ってきました。
もちろん、全く持って十分とは言えないので、またいつか仕事をするつもりでありますが。



子どもの育児休暇以来のお休みを満喫します。


あんなに、子供と一緒の時間がもっと欲しいと願ってきたのに。
思い出すのは、子どもが、ママー、ママー!って、保育園で泣いて、学童で泣いて、おじいちゃんちに預ける時にも私の足にしがみついて泣いて。
お迎えに行って私の顔を見ると一生懸命走って来て。
可哀想で私も悲しいけど仕事が必要だから、お金が必要だから、生きるために。
我が子の将来の重荷になりたくない。
贅沢できなくてもいいけど、人並み程度には不自由させたくない。
そう思って、あえて子供の泣き声にも後ろを振り向かず過ごしてきた年月。


(むしろ後ろを振り向いて子供を構うのは止めて下さいという保育士さんからの要請もありました。余計に子供がしがみついてしまうので。お母さんの姿が見えていると縋ります、さっと行っちゃって下さい!と。)


今は時間が出来たから、子供と一緒に過ごそう、今までを取り戻そう、と思っても、小学校高学年には嫌がられておしまいでした~。とほほ。。。私のドリーム潰えました。


でも、これからどんどん成長したら、もっとママのことうざがるよね?
今のうちに沢山一緒にいておこう。
一緒の部屋にいるだけだけど(笑)


小さなころの子供、あんなにママを求めてたのに。今の私なら時間あるのに。
過去に戻ることはできないので仕方ないですけどね。


お金を求めると時間がない。
時間を求めるとお金がない。 ふう。